ひょんなきっかけから一晩お世話になることとなった、マラウィのある家族との出会いのお話の続きです。
私たちを招き入れてくれた一家の大黒柱であるお父さんが、家のこと、彼の仕事のこと、育てている作物のことなどを私たちに案内していると、近所からどこからともなく子供たちが集まってきました。この村の子供たちにとって外国人を見る機会があるとすれば、バスや車に乗った外国人が一瞬で道を通り過ぎて行くことがほとんどなのでしょう。なぜか突然大荷物の自転車で、しかも家の庭で1泊していくという白人とアジア人が現れたのだから、もちろん私たちは子供たちの好奇の目を一斉に浴びることになりました。
初めは少し照れて、ある程度の距離を保ちながらこちらの様子を伺っていた彼らですが、私たちがテントを張り出すと、なんだなんだと興味津々。「今日は私たちはここで寝るんだよ」とジッパーを中を開けて見せると、どういうものかすぐに察したようです。
その後、辺りが真っ暗になるまで子供たちとのボール遊びやおにごっこは続き、私たちがすっかりへとへとになったころ近所の子供たちは自分の家へと帰っていきました。止まることなく何時間も裸足で走り回る彼らのエネルギーは凄まじく、この晩私たちが倒れるように寝たのは言うまでもありません。アフリカの民家の敷地内で野宿をするのは、この時が初めてでした。
朝日が大地を照らし始めた翌日の早朝。早起きが大の苦手の私とエリオットですが、その朝はめずらしく自然と目が覚めました。昨日の日中、徒歩や自転車の人々で賑わっていた路上はすっかり静まり返り、木材の束を自転車に積んだ男性だけが一人ゆっくりとペダルを踏んでいました。私たちがそうであったように、彼も辺り一面がオレンジ色に包まれた幻想的な光景に見惚れているように見えました。
テントから出ると、この家の3人兄弟が庭で焚き火をしていました。真ん中のお姉ちゃんが慣れた手つきでじゃがいもの皮を剥き、それを火で炙って朝食を作っているようです。きっと毎朝の日課なのでしょう。そのまったりとした光景をぼっーと眺めていた私たちに気が付いた子供たちは、柔らかくなったじゃがいもを笑顔で私たちに差し出してくれました。
予定することなくこの家族にお世話になったので、たいした手土産など何も持っていなかったのですが、バッグのなかに前日に買った洋梨があることを思い出しました。私たちがそれをカットして子供たちに手渡すと、うれしそうに受け取ってくれました。それからしばらくして畑から戻ってきたお父さんは、庭の木になっていたクルミを両手にいっぱいに拾ってきて、私たちにくれました。
アフリカのなかでも、特に貧しい国といわれるマラウィ。子供たちはサイズの合っていない穴のあいた服を着て、食べるものも、暮らしぶりも、実にとても質素です。しかし私たちの目には、彼らが “貧しい家族” には見えませんでした。彼らが私たちと比べて物質や金銭的に貧しいのは明らかでしたが、彼らの心は限りなく豊かだったのです。
見ず知らずの私たちを迷うことなく招き入れ、持っているものを当たり前のように共有し、それに対して見返りを求めない。そして家族と近所との結びつきが強く、先祖代々受け継がれる土地で暮らし、時間に余裕のある暮らし。それはまさに、先進国で失いかけている暮らし方でした。この家族と出会って以来、私は “貧しい” という言葉を使うとき、彼らのことを思い出します。本当の貧しさ、豊かさとは何なのか? そのことについて深く考えさせてくれたこの家族に、いつかまた会いにいきたいと思います。