紀伊半島、自転車の旅2日目。今日はラストスパートの坂道を登り、日本仏教の聖地である高野山へ向かいます。大人になってから初めて訪れる高野山へ向かう道のりは、あいにくの雨。でもそのうち止むだろうと願い、濡れたテントを畳んで自転車を漕ぎ始めました。
昨日の真夏のような暑さとは打って変わり、雨に濡れると少し肌寒いくらいの気温。平日の雨降りの朝だからか、私たちの横を通り過ぎる車はほとんどなく、森の中はしんと静まり返っていました。
雨の日ほどカメラをバッグの中から取り出すのに躊躇する日はありませんが、みずみずしく潤った鮮やかな緑に目を奪われ、しばし足を止めてシャッターを切りました。植林のスギを覆い囲むように蔦って伸びる葉っぱを見ると、朽ちては再生を繰り返す自然のパワーを感じることができます。
高野山への道中には年季の入ったお地蔵さんが、至る所に祀られています。そしてその一つひとつにきちんと真新しいお供え物が置かれており、地元の人がいかにそれらをいかに大切にしているかが伝わってきました。また、道の外れにはいくつか滝があり、そこではただの見ものとしてではなく滝行が古くから行われているといいます。そういったことを知ると、高野山の信仰はお寺が集まるエリアだけではなく、山そのものが聖地なのだと理解しました。
濡れた路面を走りながら見晴らしのいい場所に出ると、だいぶ頂上に近いことが分かりました。道の山頂に跨って作られた短いトンネルを抜けると、そこからは下り坂を一気に下って高野町へ一直線です!
このような立派な歴史的建造物が集まる所でエリオットが立ち止まり、思わずシャッターを切るようなスポットは、いつも少し意外な場所だったりします。この日は右側にある重厚なお寺の門には目をくれず、左側の規則的に建てられた閑静な石灯篭に目を奪われていました。
自分では気づかなかったけど、言われて見れば美しいなと思うことがよくあります。
さぁ高野山観光はこれから!というところで、残念ながら雨脚が強くなってきました。おかげで観光客はとても少なく、メインストリートにも賑わいはありません。その風景をみて、雨の日の観光地ほど寂寥感が漂う場所はないのではないかと思うほどでしたが、それは雨に濡れて疲れが増していた私たちの心を映し出していたのかもしれません。
少し沈んだ気分を回復させようと、自転車を雨に濡れない場所に停めてお寺内を見学することにしました。選んだお寺は、有名な金剛峯寺。各部屋の襖に描かれた煌びやかな襖絵や、壮大にして繊細な石庭の美しさはもちろんですが、私たちが一番見入ったのが、生活感のある台所でした。約2000人分のお米が炊ける巨大なお釜や、ネズミが進入できないよう宙に吊るされた食料庫、そして天井には樹齢数百年はあるであろう大木を一本使った梁など、その空間がどのように利用されていたのか想像を掻き立てるいろりの間でした。
束の間のタイムトリップしたような感覚になったお寺を出ると、雨がより強さを増していました。辺りの人々を見回すと、バスで帰路に立つ人々やこれからお寺で宿泊する人で和やかなムード。その雰囲気とは裏腹に、雨の中へ飛び出して野宿をしなければならないかと思うと、惨めな気持ちになってきました。雨の日の長期自転車旅が精神的にしんどいのは、紛れもない事実です。その後しばらく雨が止むのを待ちましたが、おさまる気配は一向にないので意を決して雨のなかを走り出しました。
あまりに濡れ続けると風邪をひいてしまいそうな寒さだったため、出来るだけ早くテントを張れるスポットを探そうと町を出ると、3kmほど進んだ山のなかに平坦な土地を見つけました。
インナーレイヤーが濡れないようテントを設置し、荷物をテント内に入れ、乾いた服に着替えて体を温めると、またゆるやかな気持ちが戻ってきました。
ほっと一息をついてテントの外を見てみると、深い霧が谷間をゆらゆらと流れており、まるで雲海のような幽玄な景色がそこにはありました。その景色を見て、あぁこうゆう瞬間があるからこそ、自転車で旅をするんだなと自覚したのです。
「今日はいい日だったね。」と、二人で話しながら毎度おなじみの野菜パスタをおなかいっぱい食べ、あったかい寝袋に包まり就寝しました。