未だ舗装されていない道路が国全体の約半分あるというマラウィの道路。しかし実際には、この統計にさえ含まれていない小さな村へと続く道が、枝分かれするように主要道路を外れた先に何本も伸びています。今回はなかなか訪れる機会のない、名前も知らない村をご紹介します。

特にあてもなく寄り道気分になり、「じゃあ今日はこの道を曲がって奥へと行ってみようか」と自分の向かう方角とは違う小道へ進んでいく気力は、自転車を漕いでいるとほとんどありません。ただでさえ向かうべき道はひたすら先へ続いているのに、なぜわざわざ回り道をする必要があるのでしょう?そう、それには何かしらの“理由”がなくてはならないのです。

この日、普段のように舗装された広い道を走っていると、ある1人の青年に突然呼び止められました。シャツとスラックスに革靴を合わせたフォーマルな服装の彼は、単純に私たちに興味を持ったようで、様々な質問を投げかけてきました。とても気さくで良識のある彼との立ち話は15分ほど続き、その話の流れで「今日は僕の村に来ないか?」とお誘いを受けました。きっかけは、いつでも思いがけない瞬間にやってきます。

村を今日1日案内してくれることになった青年ジェラルドは、まず興味津々だったエリオットの自転車を試走。初めはバランスを崩してフラフラでしたが、慣れると未舗装の道を難なく漕いでいました。


彼の村へと続く小道をずっと奥へ進んでいくと、主要道路からは目立たなかった大きな岩山が見えてきました。すると、その付近に家に暮らす子供たちが私たちの存在に気付き、しばらくの間子供たちの大行進が私たちの後ろに続いていました。

その後は農業に関心を持っているエリオットのために、村の大規模な畑へと案内してくれました。これほど土の状態が良く、きちんと野菜が育っている畑を見かけることはめったになかったので、畑全体の管理をしているおじさんにお話を聞いたところ、数年前にボランティアがこの村にやってきて、ブリックで造られた水路を建設していったとのことでした。

おかげで水不足が問題だったこの地域でも、村の人が売り買いできる作物を育てられるようになったそうです。マラウィでは、道沿いの至るところにNGOやNPO団体の看板があり、本当に多くのボランティアの人々と出会いました。どんなに奥深い村のなかへ入っていっても、その影響が行き届いていることにいつも驚かされます。この村の水路は今でも村の人にきちんと活用されているいい例でしたが、中には壊れてそのままになった井戸や建設後放置された学校、また一定の期間だけ物資を支給するだけの団体など、内容は本当に様々です。

マラウィが貧しい国だからといって、どこでも支援を欲しているかというとそうではありません。また重要なのが、彼らの暮らしぶりや生活習慣に、私たちが必要だと考えるものがそのまま当てはまるとは限らないことです。私もアフリカに行くのなら、彼らの生活の役に立つことをしたいと漠然と思っていましたが、現地の状況をよく理解もせず一方的に“助けてあげるべき”と思う気持ちは、なんて傲慢な考えだったのだろうと今なら思います。


まずは彼らの価値観や生き方をしっかりと知ること。そこからすべてが始まるのだと感じます。その晩、ジェラルドはテントで寝るから大丈夫だと言う私たちの申し出を断り、彼の家へと招き入れてくれました。家には90歳になるおじいさんとお母さん、そして猫2匹が住んでおり、私たちが到着するとすぐにお茶を差し出してくれました。

その夜は遅くまでロウソクの灯だけがともる部屋のなかで、学生であるジェラルドの将来の話や彼の信じる宗教観などについて語り合い、長い1日は終わりました。もう一度訪ねようとしても、決して自分たちだけでは見つけることができないであろう名前も知らないジェラルドの村。存在さえ知らなかった場所でも、ある小さなきっかけで思い出深い場所と変化しました。